天童寺の歴史

◆天童寺は樺太(からふと)にその源があり四世中興(ちゅうこうーお寺の創立、再興に尽力した住職に本寺様から贈られる称号ー)である大熊巍童(ぎどう)師は、昭和11年、海外布教師として樺太に渡り、塔路町(現在はロシア連邦がサハリン州シャフチョルスクとして実効支配)に布教所を開設しました。
◆昭和15年、大本山永平寺貫首秦慧昭禅師より「大塔山 天童寺」の寺号を頂き、17年春には大本堂を建立することができました。
◆当時の樺太は豊富な資源により好景気で、檀信徒数は約2,500戸にも上ったそうです。しかし、太平洋戦争が終戦になり 昭和22年9月に樺太より引き揚げを行いました。
◆引き揚げ船に乗る条件は厳しく、秦慧昭禅師御親筆の「大塔山」の扁額と、本尊様しか持ってこれませんでした。
◆引き揚げ後、大熊巍童師は0からスタートし、天童寺の再興を発願し、昭和29年現在地に小さな伽藍を立て、大本山永平寺の御直末として寺号公称しました。
◆昭和42年 木造2階建の本堂・庫裡・位牌堂を新築し、中央寺秦慧玉老師を拝請して落慶、晋山結制を厳修致しました。
◆昭和46年以来、6世住職大熊慧教師が副住職の頃に、境内地の拡張・納骨堂の新築等が行われました。
◆昭和59年10月 本堂・庫裡の再新築落成に伴い、大本山永平寺貫首秦慧玉禅師御親修のもと6世大熊慧教師晋山結制、落慶、五世大法霊仙大和尚本葬の大法要を厳修致しました。
◆平成8年秋、再結制(首座和尚を再び弟子として迎えること)にて七世住職大熊真龍師が首座となり法戦式を厳修します。
◆平成15年庫裏増築、納骨堂増築
◆平成22年新川別院建立される。
◆平成28年四世五十回忌法要、六世退董(たいとうー住職の座を退任することー)、七世住職大熊真龍師本庁より住職の辞令伝達される。


歴 代 住 職

開山 永平七十世活龍禅戒禅師(大森禅戒)
二世 了潮天海大和尚
三世 一道賢龍大和尚
四世 中興天真巍童大和尚
五世 大法霊仙大和尚
六世 天童慧教大和尚
現在 天海真龍(大熊真龍)

 








寺院概要

寺名
大塔山天童寺
住職
大熊真龍(七世)
所在地
〒001-0023
北海道札幌市北区北二十三条西9丁目2番13号
TEL. 011-716-1353
FAX. 011-716-3686
→アクセス
ご本尊
釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)
創立
昭和12年(札幌では昭和29年)
宗派
曹洞宗(禅宗)
宗旨
曹洞宗は、お釈迦さまより歴代の祖師(そし)方によって相続されてきた「正伝(しょうでん)の仏法(ぶっぽう)」を依りどころとする宗派です。それは坐禅の教えを依りどころにしており、坐禅の実践によって得る身と心のやすらぎが、そのまま「仏の姿」であると自覚することにあります。
そして坐禅の精神による行住坐臥(ぎょうじゅうざが)(「行」とは歩くこと、「住」とはとどまること、「坐」とは坐ること、「臥」とは寝ることで、生活すべてを指します。)の生活に安住し、お互いに安らかでおだやかな日々を送ることに、人間として生まれてきたこの世に価値を見いだしていこうというのです。
教義
私たちが人間として生を得るということは、仏さまと同じ心、「仏心(ぶっしん)」を与えられてこの世に生まれたと、道元禅師はおっしゃっておられます。「仏心」には、自分のいのちを大切にするだけでなく他の人びとや物のいのちも大切にする、他人への思いやりが息づいています。しかし、私たちはその尊さに気づかずに我がまま勝手の生活をして苦しみや悩みのもとをつくってしまいがちです。
お釈迦さま、道元禅師、瑩山禅師の「み教え」を信じ、その教えに導かれて、毎日の生活の中の行い一つひとつを大切にすることを心がけたならば、身と心が調えられ私たちのなかにある「仏の姿」が明らかとなります。
日々の生活を意識して行じ、互いに生きる喜びを見いだしていくことが、曹洞宗の目指す生き方といえましょう。